波津女について


    やまぐち   はじょ

   明治39年(1906)年10月25日生。
   昭和60年(1985)年6月17日没。 (年譜:PDF

   本名 梅子
     【代表句】「毛糸編み来世も夫にかく編まん」
           「金魚夜を如何に過すや人は寝る」
           「松過ぎてなほ賀状来る賀状出す」




     



 明治39年に、俳人であった父 浅井よしてる(俳号:ていぎょ)の長女として、 大阪府大阪市中之島に生まれる。父の赴任に伴い、韓国仁川、香港に渡る。その後清水谷高等女学校に入学し、大阪市宰相山に移り住む。

 俳人であった父啼魚の影響で少女時代より句作を始め、昭和2年頃からは誓子の指導を受け始める。 翌年の昭和3年、誓子と結婚。昭和23年には、誓子主宰の「天狼」同人となる。句集に『良人』『天楽』、没後は遺句集として『紫玉』が刊行された。

 誓子の療養生活中には献身的な看病をしたことから、誓子は波津女を「妻にして母、主婦にして看護婦」と評しており、 二人は深い愛情で結ばれていた。