明治39年に、俳人であった父 浅井義
(俳号:啼魚)の長女として、
大阪府大阪市中之島に生まれる。父の赴任に伴い、韓国仁川、香港に渡る。その後清水谷高等女学校に入学し、大阪市宰相山に移り住む。
俳人であった父啼魚の影響で少女時代より句作を始め、昭和2年頃からは誓子の指導を受け始める。
翌年の昭和3年、誓子と結婚。昭和23年には、誓子主宰の「天狼」同人となる。句集に『良人』『天楽』、没後は遺句集として『紫玉』が刊行された。
誓子の療養生活中には献身的な看病をしたことから、誓子は波津女を「妻にして母、主婦にして看護婦」と評しており、
二人は深い愛情で結ばれていた。